ペット斎場・永遠の園

法話

ペット斎場 永遠の園

供養祭にて桃源院様からの法話です。

 昨今、人や生き物の命を顧みない、ないがしろにする悲しい事件や事故が、多く発生しています。 こうした中にあって、生きとし生けるものを尊び、供養の心を表される皆様のお姿に接しますことは、大変心強く、また人としての誇りです。 もし、本日お参りの皆様のような、大きな愛情や慈しみを、生きとし生けるものに注がれる方々が、一人でも二人でも増えていくのなら、人の心を傷つけ、悲しませる事件や事故は、必ず無くなっていくことでしょう。
 安倍総理大臣は、先の所信表明にて、「美しい国日本」ということを述べられました。これまで、命あるものに対し、そして今もなお変わることなく、愛情とやさしい眼差しを向けてこられた、そういった心こそが、「美しい国日本」を作っていく大きな力であると確信します。 このような生き物に対する愛情や眼差しを、仏教では「慈悲の心」と呼びます。また仏教の大切な教えに「無常」というものがあります。「無常」とは、物事が常に変化を繰り返し、一定の状態に留まらないことを指す言葉です。 もっと端的に言えば、命あるものには、必ず死があるということです。つまり永遠の命というものなどはなく、命というものは限られたものであるということです。限られた命であるからこそ、一人ひとり、一つひとつの命、そのすべてが尊いものなのです。このように思う時、慈悲の心が湧起こるのではないでしょうか。  お釈迦さまは、すべての生き物に対して、慈悲の心と慈悲の眼差しを向けていきなさいと、教えられます。その教えが「慈経」(慈しみの経)というお経に残されています。最後にそのお経をお読みしたいと思います。

<スッタニパータ 中村 元訳 抜粋>

 いかなる生き物生類であっても、怯えているものでも、強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。 あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみの心を起こすべし。
 また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。 立ちつつも、歩みつつも、座しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この慈しみの心づかいをしっかり保て。 この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。
 この御法要は、その慈悲の実践そのものです。どうぞこれからも、生きとし生けるものに対して、慈悲の心と眼差しを持ち続けて頂きますことをお願い申し上げ、御法要を終了いたします。

         平成18年10月1日         桃源院